NDL OPACでたどる交友社の歴史

 先日もお伝えしたように、このほど『鉄道ファン』が600号を迎えました(『鉄道ファン』2011年4月号(600号)が発売されました)。この雑誌を発行しているのは「株式会社交友社」という名前の出版社で、私にとってはお得意様の一つでもあります。

 実は私、交友社がどういう会社なのか、詳しいことは知りません。もともとは名古屋の会社で国鉄向けの業務用書籍を発行しており、戦後は東京支社が『鉄道ファン』を創刊して鉄道趣味関連の本も出すようになった、ということくらいは知っているのですが、それ以外のことはさっぱりです。
 Wikipedia日本語版によると、創立は明治末期で、鉄道関係のほか、なぜか森鴎外の本も出しており、1934年に株式会社化……とされているのですが、どれも出典がないので本当かどうか確認できません。ただし、東京商工リサーチの企業情報データベースによれば、設立は1934年9月となっていますので、このとき株式会社としての交友社が誕生したのは間違いないようです。
 もうちょっと細かいところを知りたいものですが、仕事とは直接関係ない話を問い合わせるというのもアレですし。せめて、過去にどんな本を発行してきたのか知りたいということで、国立国会図書館が公開している蔵書検索システム(NDL OPAC)を使って交友社が発行した書籍の蔵書を検索してみました。

 NDL OPACの書誌一般検索で、「出版者」の項目に「交友社」と入力して検索をかけると191件がヒットします。これを出版年順で並べ替えると、出版年不明のものを除いた最古の登録図書は、1893年発行の田中平義『剣舞之詩集』となっています。ただし、この書籍の出版地は京都とされているので、どうも同名の別会社が発行したもののようです。そもそも題名からして鉄道とは関係なさそうですし。
 本社のある名古屋を出版地とした最古の登録書籍は、1934年の藤本菊松『実際より見たる電気鉄道』などで、これは株式会社交友社が設立された年と一致します。その後は鉄道受験指導会『鉄道局教習所入学試験征服と其の対策』(1935年)、勝俣勇二『運転取扱心得詳説』(1938年)等々、題名から教習用と推測できる書籍が1944年まで多数登録されていますが、1945年発行分の登録図書は1冊もありません。やはり戦争の影響で発行自体がストップしていたのでしょうか。
 なお、1938年に発行されている機関車工学会編『略図の機関車』は、出版地が東京とされています。同名別会社の可能性もありますが、題名は鉄道そのもの。このころに東京支社が設置されたのかもしれません。

 戦後は1946年に発行された鉄道教育研究会編『絵とき鉄道科学』が最も古い登録図書ですが、その後は鉄道教習関係の本に混じって新教育振興会編『子供のけんぽう』(1948年)や藤吉利男『青年教師と新教育を語る』など、一般教育関係の本も登録されています。最初は同名の別会社かと思ったのですが、国会図書館近代デジタルライブラリーで公開されている『子供のけんぽう』を閲覧してみたところ、奥付には「名古屋市千種區宮西町三丁目」と名古屋本社の旧住所が記されており、間違いなく交友社発行の書籍です。
 日本国憲法の制定に伴う教育改革で一般教育書の需要が伸びていたことに目を付けたのかもしれませんが、交友社がこの手の本を出していたのはまったく知らず、ちょっと意外な気がしました。ただし、一般教育用とおぼしき図書の登録は1947〜1948年だけで、1949年以降は再び鉄道教習用とおぼしき題名の本が並びます。

 1950年代後半になると、沢野周一・星晃共編『写真で楽しむ世界の鉄道』(1959〜1962年)など、一般向けとおぼしき題名の図書が登録されるようになります。ちょうどこのころ、交友社は『鉄道ファン』を創刊(1961年)しており、趣味者向けの一般書籍も発行するようになったことがうかがえます。
 これ以降、教習用とおぼしき題名と、趣味者向けとおぼしき題名の図書が並行して登録されるようになりますが、1970年代前半を境に趣味者向けの図書が多数を占めるようになり、さらに1980年代に入ると業務を『鉄道ファン』の発行に特化するようになったのか、NDL OPACに登録されている図書自体が大幅に減ります。
 1982年発行分としては、超有名な広田尚敬『動止フォトグラフ』が登録されていますが、その次は1994年の土岐実光『電車を創る』で、12年もの間隔が空いています。近年は数年間隔で趣味者向けの書籍が登録されている程度で、『鉄道ファン』発行業務への特化がさらに進んでいるようです。

 書籍の題名だけでは詳しいことは分からないものの、交友社がたどってきた歴史の「雰囲気」くらいはつかめたかと思います。いつか交友社が社史を制作するとき、できれば私も執筆者に混ぜてもらい、もっと詳しいことを調べてみたいものです。

コメント

  1. kihayuni より:

     天下の交友社さんが社史を出していないとは意外ですね。RFも600号を迎えたことですし、節目にぜひと言いたいところですが。

     ちなみに、旧弘済出版社の社史は、一度、札幌駅近くの古書店で見かけたことがあります。なぜ、そこにあったのかは不明ですが。その後に創立何周年かを記念して出した記念誌も同じ古書店で見つけたので、それは買いました。

     ただ、どちらも当時の役員や社員の写真ばかりで、あまり鉄道に関連したものは載っていなかったような・・・。

  2. kusamachi より:

    kihayuniさん
     社史の有無は確認していないので分かりませんよ。それに歴史が長くても、あるいは会社の規模が大きくても社史を出していない会社はありますから、さほど珍しいことではないのでは。
     たとえば西武鉄道も社史を出したことはありませんね。もっともあの会社、いろいろな意味で社史を出しづらいという事情がありますが(苦笑)。

  3. kihayuni より:

    >社史の有無は確認していないので分かりませんよ。

     おっと、失礼!これはおいらの早とちりでしたm(_ _)m

     万が一、古書店で交友社さんの社史を見つけたら、いの一番にここに報告するか、ツブ焼きますね!

  4. 大阪の蒸機屋 より:

    「機関車工学会」の検索でこちらに来ました。私はWikiに交友社の創設を記入した本人です。交友社の創設が明治末というのは、山田社長ご本人にお聞きした事です。戦災により戦前の資料はほぼないともお聞きしました。社史も出た事はないと思います。森鴎外はネットの古書目録で私が見ただけです。最近、交友社の鉄道書の最古として「空気制動機問答」小森・横田共著(再販)昭和2年2月28日発行を入手しました。我が家の蔵書では、
    「エヤブレーキ教科書」有原俊二著昭和2年11月1日発行
    「機関車用給水温メ装置」昭和3年5月15日発行
    「機関庫員便覧」名古屋機関庫編纂昭和3年10月20日発行
    と続きます。私は蒸気機関車の技術書を収集しているだけですので、それ以上詳しい事は、わかりません。ご参考になれば幸いです。

  5. 大阪の蒸機屋 より:

    「空気制動機問答」小森・横田共著(再販)昭和2年2月28日発行
    を見直しました。
    昭和元年12月27日初版印刷。定価3円90銭
    発行兼印刷者;山田慶太郎
    印刷所;山田活版印刷
    発行所;名古屋市東区鍋屋町2丁目
    鉄道専門図書印刷教科書出版「交友社」
    で現在の交友社の元である事がわかります。では

  6. 大阪の蒸機屋 より:

    ついでに我が家の蔵書から調べましたが
    「最新問答式機関車大典」機関車工学会著昭和9年8月13日発行。
    「第三回運転研究会記録」省運転局運転課昭和9年11月1日発行。
    前者は、株式会社の明記がありませんが、後者は株式会社と明記されています。では

  7. 大阪の蒸機屋 より:

    繰り返しで失礼致します。終戦の年、昭和20年に交友社が出版した物で我が家にあるのは、「機関車基礎工学」機関車工学会著(第6版)昭和20年3月25日発行になります。交友社の月刊技術雑誌「locomotive engineering」(昭和6年創刊と思われる)は戦時中に休刊(休刊時は雑誌名「機関車界」に変更されていた)になり、昭和27年10月の鉄道80周年に復刊しておりますので、終戦間近の出版状況は厳しかったと思われます。では

  8. kusamachi より:

     大阪の蒸気屋さん、わざわざ蔵書まで調査いただき、ありがとうございます。1934(昭和9)年8月13日発行分に「株式会社」表記がなく、同年11月1日発行分で「株式会社」表記があるということは、1934年9月設立(株式会社化)の傍証になりそうです。
     蒸気屋さんの蔵書のなかでは1926年(昭和元)の『空気制動機問答』が一番古いようですが、この奥付データを見る限り、山田活版印刷が鉄道教習向けの教科書ブランドとして「交友社」という名称を使っていたように思えます。
     改めて「山田活版印刷」をキーワードにNDL OPACで検索してみたところ、「山田活版印刷所」発行の書籍として郡菊之助『東海道交通の今昔』(1931年)など3件がヒットしました。出版地は3件とも名古屋なので、同一業者とみて間違いないでしょう。
     それにしても『空気制動機問答』の初版印刷が「1926年(昭和元)12月27日」とは。改元の翌日(厳密には翌々日)に印刷されたことになるわけで、印刷の現場では「昭和」の活字を急きょ作ったのではないでしょうか。
     それと、1945年(昭和20)年も国会図書館に蔵書がない、もしくはNDL OPAC未登録というだけで、いちおう発行されていたのですね。とはいえ戦時中は相当な紙不足でしたから、『機関車基礎工学』の第6版は例外的な存在と考えた方がいいのかもしれませんね。まあ、地震直後の現在も紙不足になっていますが(苦笑)。
     森鴎外の本に関しては、現時点では判断が難しいですね。私は同名別会社の発行である可能性が高いように思うのですが、終戦直後に一般向けの教育書を発行した事例がある以上、鉄道と関係ない書籍だからといって発行していないとは限りませんし。
     何はともあれ、詳細な情報をお教えいただきありがとうございました。

  9. 大阪の蒸機屋 より:

    さっそくのご返事ありがとうございます。
    >山田活版印刷が鉄道教習向けの教科書ブランドとして
    なるほどそのようですね。
    また「蛙」森鴎外。大正8年については、再度確認したところ古書目録の誤記ではないかと思われます。
    また「略図の機関車」は、交友社の機関助士向けの戦前〜戦後までのベストセラー本です。(初版は昭和8年)
    田端・品川機関区OB回想記の「機関車に憑かれた40年」向坂唯雄著。草思社にも「略図の機関車」が紹介されていますが
    戦後版の「略図の機関車」であれば、交友社自身が下記で電子図書化しております。
    http://www.railforum.jp/koyusha/
    我が家の「略図の機関車」昭和16年第11版を見ると、あくまでも発行所は名古屋市東区鍋屋町二丁目の?交友社ですが、配給元として、東京市神田区淡路町2-9 日本出版配給株式会社とあります。

  10. 大阪の蒸機屋 より:

    ?になってしまったのは(株)です。
    では

  11. kusamachi より:

     森鴎外の『蛙』については、古書目録の誤記の可能性があるのですね。何とかして現物を確認してみたいものですが…
     『略図の機関車』は、同名別会社どころか交友社のベストセラーですか。不勉強でお恥ずかしい限りです(汗)。初版が1933年(昭和8)発行とのことで、NDL OPACに登録されている『略図の機関車』と発行年が異なりますが、後の改訂版を国会図書館が持っているということかもしれません。で、その改訂版が東京支社発行だったのではないかと。これは国会図書館に行けば確認できますから、近いうちに閲覧してみようと思います。
     日本出版配給は、出版取次の戦時統制で設立された会社だったと思います。いわゆる「大東急」のようなものでしょうか。

  12. kusamachi より:

     上のコメントを書いた後、NDL OPACで検索し直してみたところ、森鴎外『蛙』は出版者を「玄文社出版部」として登録されていました。ただし発行年に関しては1919年(大正8)と1920年(大正9)年の二つに分かれて2件が登録されており、どういうことなのかよく分かりませんが。これも近いうちに確認したいと思います。

  13. 大阪の蒸機屋 より:

    少しづつ紐解いてきましたね。取り急ぎ数冊確認しました。
    「略図の機関車」初版。昭和8年12月8日発行には、出版交友社(名古屋)のみで東京の表現はありません。(印刷所は山田活版印刷)
    「機関車の故障と応急処置検査と修繕」昭和10年4月23日発行も
    出版。交友社のみ。発行所だけでなく印刷所も(株)交友社
    「略図の機関車」昭和16年第11版は、上記の通り、日本出版配給(株)(東京市)と東京の表現あり。
    「略図の電車」昭和23年5月28日(第四版)発行は、名古屋市千種区(株)交友社(印刷所も(株)交友社印刷所)で日本出版協会会員番号はあれど東京の表現無。
    「略図の機関車」昭和33年10月5日(第21版)発行は発行所は(株)交友社(名古屋市千種区)で東京支店(文京区駒込)の明記もあり。
    週末にでも東京支店が初めてでてくる時期を見てみたいと思います。では

  14. 大阪の蒸機屋 より:

    山田社長にいただいた昭和38年頃の交友社の図書目録の会社案内のコピーがでてきました。最初にこれを出すべきでした。失礼いたしました。
    明治34年9月山田活版印刷所創業
    昭和9年9月株式会社交友社と改称
    昭和14年10月東京板橋区諏訪町に支店を、池袋の中央鉄道教習所内に出店。
    昭和20年8月千種駅東に工場並びに事務所を建築
    昭和28年8月東京都文京区駒込に支店設置
    です。

  15. 大阪の蒸機屋 より:

    交友社の月刊技術雑誌「locomotive engineering」(昭和6年創刊と思われる)と書きましたが、
    同雑誌の昭和14年に10周年とありますので、昭和4年創刊が正解でした。第3種郵便物への認可が昭和6年5月でした。
    交友社の月刊雑誌「運転ニュース」は、昭和8年1月創刊号〜13年8月号まで揃い(鉄道ファンの新名古屋駅記事の為に3冊をN氏に貸出中)で持っています。
    この昭和9年11月号(10月5日発行)は交友社。12月号(11月5日発行)は株式会社交友社発行です。デザインの変った昭和11年1月号の表紙にはnagoya koyusha tokyoとあり、東京にも営業所ができたようにうけとれますが、中には東京の表現がありません。
    「locomotive engineering」昭和27年10月号(戦後の復刊1号)には名古屋の住所とならんで交友社東京編集局東京都文京区駒込上富士前町111とあります。
    雑誌名が変更されて「ロコとディーゼル」の昭和30年11月号には10月号にはなかった東京支店東京都文京区以下同とあります。

  16. 大阪の蒸機屋 より:

    月刊雑誌「運転ニュース」昭和10年9月号(8月5日発行)より広告のページの月刊雑誌「鉄道受験界」に「実物を見た読者より感謝と感激の書状山積す。創刊号1万部売り切れ!創刊号であるから、実物を見て注文くださる方が相当あるのを見込んで、大英断で1万部印刷したのが、注文!追加注文!追加注文!で1部もなく売り切れました。」とあります。当時鉄道は、陸上交通の王者であり、大量輸送のライバルは、遅い船便だけでしたし、船便は海路・川路のみですので、貨物輸送などは鉄道独壇場でした。トラックはあくまでも街中を走る短距離輸送であり、高速道路どころか舗装道路もほとんどない時代で街と街を結ぶ貨物は、鉄道輸送のみでした。鉄道従事員の社会的地位も非常に高かったです(特に機関車乗務員は現場の非常に上位)。この手のある業界の部内向け雑誌で1万部というのはいかに最盛期であったかわかると思います。当時にたような鉄道書を扱う出版社(交友社のライバル)は、複数社(江島日進堂。通文閣。大教社etc)ありましたが、それでも1万部売れるわけです。もちろんそれには内地だけでなく外地の鉄道職員の購入もありました。月刊雑誌ロコの読書の質問欄や投稿欄には、朝鮮鉄道や満鉄や樺太鉄道や台湾鉄道などの機関区名がちらほら
    見る事ができます。これは交友社の雑誌「ロコ」とならんで2大雑誌といわれた門司鉄道教習所講師達が発行した月刊雑誌「潮」潮刊行会発行。江島日進堂(大正10年創刊〜昭和60年3月終刊(国鉄動力車研究会発行))も同様でした。現代人が完全に忘れてしまった鉄道全盛時代の華々しい鉄道の姿がそこにはありました。

  17. 大阪の蒸機屋 より:

    朝鮮鉄道や満鉄(南満州鉄道)や樺太鉄道や台湾鉄道だけでなく、華北・華中・華南の鉄道にタイ鉄道etcもあります。

  18. kusamachi より:

    大阪の蒸気屋さん
     さらに詳しいコメントをいただき、感謝感激です。ご返事が遅くなりまして申し訳ございません。「山田活版印刷所」が創業した1901年(明治34)といいますと、山陽鉄道(現・山陽線)が全通(5月27日)したころですか。今年は創業110年になるわけですね。
     一方で東京での「活動」開始がいつごろなのか、ややはっきりしなくなりましたね。正式な支店設置が1939年(昭和14)としても、『運転ニュース』1936年(昭和11)1月号に「nagoya koyusha tokyo」の表記がある以上、東京に営業所のようなものは存在したようにも思えます。そうした活動範囲の拡大を図る一環として、1934年(昭和9)の株式会社化があったのかもしれませんね。
     「1万部売り切れ!」に感嘆符を付けられるとは、ある意味では「よき時代」だったのだなと思わせます。今なら1万部の雑誌ですと原稿料は…いえ、何でもありません(苦笑)。まあ価格等にも影響されるので、部数で原稿料が決まるわけでもありませんが。
     なお、今日中には国会図書館を訪れる予定ですので、確認の件はしばしお待ちください。

  19. kusamachi より:

     すみません、月曜に訪問するつもりだったのですが、都合で1日遅れの本日、国会図書館に行ってきました。
     まずは『蛙』。デジタル化されたデータを閲覧しましたが、1919年(大正8)年5月13日発行分と1920年(大正9)6月1日発行分の2冊があり、どちらも著書は「森林太郎」、発行所は「玄文社出版部(東京市芝区芝公園9号地)」でした。NDL OPACでの著者名はペンネームでしたが、実際は本名名義で発行されていたようですね。内容はざっと見た限り2冊とも大きな違いは見られませんでした。1920年版は増刷か改訂版なのでしょう。
     続いて『略図の機関車』は、1938年(昭和13)7月15日発行の新訂増補第8版でした。ただ、奥付によると発行所は「名古屋市東区鍋屋町二丁目」の「株式会社交友社」とあるだけで、東京の営業所名や住所などは一切書かれていませんでした。