『鉄道統計年報』で見る銚子電鉄のその後

 2008年(平成20)度版の『鉄道統計年報』(電気車研究会)を購入して2週間がたちました(ようやく発売された『平成20年度 鉄道統計年報』)。しかし仕事ではまだ使う機会がなく、早くも本棚に入れっぱなしの状態です。
 「せっかくだから、年報のデータを使ってブログに何か書いてみようか」と考えながらページをぺらぺらとめくっていたところ、「銚子電気鉄道」の文字が目にとまりました。そういえば、あの「騒動」から4年ほどたっているけど、あれからどうなったのだろう…

 銚子電気鉄道とは、JR総武線銚子駅から犬吠埼の近くを経て漁港のある外川に至る、全長わずか6.4kmのローカル私鉄です。鉄道事業に関しては古くから赤字体質ではあったのですが、公的な支援や副業の収入などもあって、これまで何とか持ちこたえてきました。
 ところが2004年1月、当時の社長が会社名義の借金を私的に流用したとして解任され、2006年8月には逮捕されてしまいます。この影響で銚子電鉄は銀行からの融資が受けにくくなり、さらには銚子市も「刑事事件に関係する会社の支援はできない」として消極的な態度を取ったことから、いよいよ廃止が危惧される状況に追い込まれてしまいました。
 さしあたり、電車の検査費用を捻出できないと、列車の運行を停止しなくてはならない…万策尽きた銚子電鉄は2006年11月15日、自社のホームページに「緊急報告 電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください!! 電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」と題した声明を発表しました。
 この声明にある「ぬれ煎餅」とは、銚子電鉄が赤字穴埋めのための副業として1995年9月から販売している「銚電のぬれ煎餅」のこと。しょうゆで味付けした濃厚な味が評判を呼んで売り上げが伸び、「緊急報告」をホームページに掲載したころには、ぬれ煎餅の収入が鉄道事業の収入を上回るようになっていました。そこで銚子電鉄はぬれ煎餅の購入を呼びかけて、検査費用を捻出しようと考えたわけです。

 鉄道会社がホームページを使って会社の窮状を訴えるという異例の呼びかけがネット上で大きな反響を呼んで、一時はぬれ煎餅の生産が追いつかずに通信販売が中止されるほどでした。しかしこの結果、ぬれ煎餅の販売収入の増加のみならず、民間による支援の輪も広がって検査費用の捻出に成功。鉄道の存続もとりあえず決まり、2010年には新車(といっても四国の伊予鉄道から購入した中古車両ですが)を導入するまでに至りました。
 あれから4年ほどの歳月がたったわけですが、それでは本業である鉄道の輸送人員はどのように推移したのか、「騒動」前後の『鉄道統計年報』でちょっと確認してみました。

年度 年間輸送人員 (定期) (定期外) 平均通過人員
2004年(平成16)度 65万2000人 25万4000人 39万8000人 1001人/日km
2005年(平成17)度 65万4000人 24万4000人 41万人 1000人/日km
2006年(平成18)度
★11月に「騒動」発生
71万3000人 22万1000人 49万2000人 1163人/日km
2007年(平成19)度 83万人 21万2000人 61万8000人 1446人/日km
2008年(平成20)度 78万2000人 20万3000人 57万9000人 1276人/日km

 年間輸送人員は「騒動」が発生した2006年度と「騒動」翌年度の2007年度が前年度を大幅に上回っています。「騒動」をきっかけに銚子を訪れ、そして銚子電鉄の電車に乗ってみた観光客がかなり多いということですね。
 とはいえ、平均通過人員(輸送密度)はそれでも1000人台前半を超えることはなく、やはり何らかの支援がなければ運行の継続は厳しい状況といえます。しかも定期客(通勤客または通学客)は「騒動」後も順調に(?)数を減らしており、地元客の減少には歯止めがかかっていないのです。どんなに銚子電鉄が手を変え品を変えて話題づくりに励んだとしても、車社会化による通勤客の減少と少子化による通学客の減少に勝ち目はありません。
 頼みの綱である「定期外」客、つまり観光客が含まれている定期券以外の利用者も、2008年には急激に減少しています。結局は「騒動」がきっかけになった利用者の増加ですから、ほとぼりが冷めれば減るのも当然のことで、このままでは早晩、廃止の話が再び持ち上がってくるのではないでしょうか。
 だとすれば、「騒動」は延命治療にはなったかもしれないが、根本的な治療にはなっていなかったということになります。
 銚子電鉄にとって、4年前の「騒動」をきっかけにした存続が果たしてよかったのかどうか、私にはよく分かりません。ただ一つ言えることは、「騒動」で増えた分の輸送人員をもってしても、鉄道の維持は難しいということです。