南大東島の蒸機と『神々の深き欲望』の謎

 最近、昔の写真データに「ジオタグ」と呼ばれる位置情報を埋め込む作業を行っています。昔と言ってもネガやポジにジオタグを埋め込めるわけがないので、デジタルカメラを利用するようになった1999年以降のデータに限られますが。

 ここ10年ほどの写真データを確認してみると、やたらと目に付くのが沖縄の写真。2001年9月、2001年12月、2002年11月、2003年9月、2005年4月、2006年2月と、鉄道が無い(無かった)にもかかわらず、なぜかここ10年で6回も訪れています。まるで『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の長原成樹ですな(笑)。ちなみにデジカメが無かった時代にも1回(1991年7月)だけ訪れています。
 大半は沖縄本島だけですが、2006年2月は『鉄道データファイル』2006年8月29日号・9月12日号(デアゴスティーニ・ジャパン)の取材で南大東島を訪れています。この島には大東糖業という製糖会社が所有するサトウキビ運搬用の専用鉄道が1983年まで存在しており、その廃線跡をたどるというのが取材の趣旨でした。

 取材を終えて東京に戻り、原稿の執筆に取りかかったころでしたか、今村昌平監督の映画『神々の深き欲望』で、大東糖業の蒸気機関車が出ているらしいという話を聞き、早速ビデオを確認。蒸気機関車が客車1両と貨車の混成編成をけん引してサトウキビ畑や海沿いを走っていくシーン、背後に石造りの機関庫が見える場所で、お客が乗り降りしているシーンなどが映し出されていました。とくに石造りの機関庫は、今も南大東島の中心地(在所地区)に残る機関庫と石の配列がまったく同じであり、間違いなく南大東島でロケーション撮影されたことが分かります。
 専用鉄道では3両の蒸気機関車が使用されていましたが、3号機が戦時中に米軍の攻撃で破損。戦後もディーゼル機関車の導入により、1号機が1964年、2号機が1965年にそれぞれ廃車となっています(古賀茂男「南大東島ナローゲージ」『鉄道ファン』1968年12月号・交友社)。ということは、『神々の深き欲望』は遅くとも1965年までに南大東島での撮影を完了していなければならないはずですが、この映画は蒸気機関車の廃車から3年後の1968年に撮影、公開されており、時期が一致しません。

 この「3年の空白」をどう考えればいいのか。1965年の時点では、蒸気機関車は正式には廃車になっておらず、単に使用を停止しただけなのかもしれない。そして3年後の映画撮影の際に、久しぶりにカマに火を入れて蒸気機関車を動かし、その後に正式な廃車となったのかもしれない……原稿を執筆した時点では、このように推測していたのですが、詳しく調査するとなると締切に間に合わないし、そもそも与えられた文字数の中でそれに触れるのは難しいということもあり、この件については触れずじまいでした。
 ダメだしを何度かくらいながらも、南大東島の原稿を何とか書き上げたのは4月のこと。それから1カ月がたち初稿が出たころ、今村監督がこの世を去りました。

 その後は「3年の空白」を調べることもなく時が過ぎていきましたが、先日、たまたま検索で見つけた『でじたるたまじん』というホームページで、『神々の深き欲望』の撮影に携わっていた武重邦夫さんの連載記事「愚考の旅 僕と映画と今村昌平」を発見。その中で『神々の深き欲望』についても詳しく触れていました。
 それによると、

第40回「神々の深き欲望」今村プロ、地獄への突入(9)
(前略)僕ら演出部は精糖工場の一隅に眠っていた小型の蒸気機関車を引き出してもらい、走行させる作業に入った。10年前にキビの運送から引退した蒸気機関車だ、動ける状態ではなかった。そこで、別なディーゼル気動車をキビで偽装し、客車の背後に連結し押し動かすことになった。蒸気機関車は煙突から煙を出して走る。そのために、機関室で裁断したゴムタイヤを燃やして煙を出すことになった。(後略)

とのこと。つまり、蒸気機関車自体はすでに引退していて自力走行できない状態でしたが、客車後部に連結したディーゼル機関車の推進運転によって、蒸気機関車が自力で走行しているように見せかけたわけです。これなら映画の撮影前に廃車扱いになっていたとしても、解体さえしていなければ動かすことができるわけで、廃車後の撮影も納得がいきます。
 ただ、武重さんの記事では「10年前にキビの運送から引退した蒸気機関車」としていますが、撮影が行われた1968年の10年前は1958年ですから、今度は『鉄道ファン』の記事にある廃車時期より7年も早く引退していることになります。
 武重さんの記憶違いなのか、あるいは『鉄道ファン』の記事の間違いなのか、はたまた実際に使用を停止した時期と正式な廃車時期との違いなのか……謎はまだ残っているようです。

コメント

  1. たむよし より:

    草町さんが南大東島に行かれていたとは!
    私は10年前に行きました。そのときはとっくに廃線で、機関庫のそばにディーゼル機関車が放置されていたのを見て、夢中になってシャッターを切ったのを覚えています。
    南大東島の鉄道は地方鉄道法や軌道法は適用されていなかったので、会社の一存で勝手に廃車したり復帰させたりすることができたでしょうから、正式な廃車日なんて本当は存在しないと思います。廃車時期と撮影時期のずれはそれで説明できるのでは。

  2. kusamachi より:

     わたしも取材前、機関庫の脇に大量の機関車が放置されていると聞き、それを楽しみにしていたのですが、残念ながら撤去された後でした。1年ほど早く取材していれば放置機関車を見ることができたそうなので、それが唯一の心残りです。

    >南大東島の鉄道は地方鉄道法や軌道法は適用されていなかった

     確かに大東糖業の専用鉄道は鉄道法規の枠外で運行されていましたが、1972年以前の南大東島は米軍の統治下なので、琉球政府の法律に基づく廃車手続きがあったのかも、とも思うわけです。ただ、本土復帰前の沖縄の法律に関して、わたしは全くの無知。まずはそこから調べていく必要がありそうです。