ハノーファーから乗ってきたシティ・ナイト・ライン『ペルセウス』は定刻9時23分、パリ東駅に到着。当初の予定ではパリで1泊するつもりだったのですが、イスタンブールとブルガリアでもたついたため、そんな余裕はありません。ユーロスターでただちにイギリスに向かうことにしました。
ユーロスターのフランス側ターミナルは、東駅から徒歩10分ほどのところにある北駅。この駅の2階にあるユーロスターの切符売場に向かうと、やや長い行列ができていて、なかなか前に進みません。乗車前の手続きの時間を考慮すると、11時13分に発車する9023列車に間に合わないのは確実な情勢で、窓口にたどり着いたころには12時13分発の9027列車に乗るつもりでいました。
窓口で「2等をお願いします」と言ったところ、職員が英語で何か語りかけてきたものの、よく分からない。適当に相づちを打っていたら、目の前に現れたのは1等の切符でした。窓口氏が発した言葉のなかに「レギュラーチケット」という単語があったので、「2等の正規切符(レギュラーチケット)より1等の割引切符の方が安いですが、1等にしますか?」というようなことを言っていたのでしょう。それなら2等の割引切符を売ってほしかったのですが、まあ最後の最後ですし、そのまま1等車に乗ることにしました。
ハンガリーからフランスまではシェンゲン協定加盟国を移動してきたので出入国審査はいっさいなかったのですが、イギリスはシェンゲン協定に加盟していないため、ここでフランスの出国審査を受けることになります。切符売場の脇にある出国審査場は混雑していたものの、審査官はわたしのパスポートを手に取るやいなや、すぐにスタンプをポンと押印。身分証欄をきちんと確認したかどうか怪しいほど素早く、今までの出入国審査のなかで一番簡単でした。
出国手続きを終えると、目の前には早くもイギリスの入国審査場が現れます。まだフランスなのにイギリスの入国審査とは不可思議ですが、実際の入国前に入国審査を終えてしまうケースはほかにもいくつかあり、わたし自身、過去にシンガポールからマレーシアへの国境越えで経験したことがあります。
イギリスの入国審査はやや厳しいと聞いてはいましたが、なんだかんだ言っても「西側」の先進国ですし、中国の出国やイランの入国に比べればたいしたことはないだろうと思っていました。しかし、女性審査官に旅行の目的や滞在期間などを聞かれ、英語で「観光」「3日間」と答えたまではよかったのですが、「帰りの航空券は持っていますか?」と聞かれて「持っていない。ロンドンに着いてから購入する」と答えると、審査官の表情は急に厳しくなり、続いて現時点の所持金やクレジットカードの利用限度額を聞いてきます。しかも、パスポートに貼られていたイランや中央アジア諸国のビザを見た審査官の顔つきは鬼のような形相となり、イギリスとは無関係の国だというのに各国の入国目的まで聞いてきます。「イランには何をしに行った」「観光です」、「トルクメニスタンも観光か?」「はい」、「ウズベキスタンもか?」「はい」……。
この時点で日本を出国してから50日以上が経過しており、いくらユーラシア大陸を横断してきたとはいえ、観光旅行にしては時間がかかり過ぎていることを疑っているふしが見受けられます。いちおう「東京からここまで列車で来た」と言ってみたのですが、審査官は厳しい表情を崩しません。そのうち審査官はため息をつき、電話で別の女性職員を呼び出し、わたしはその職員に連れられて事務所の脇のベンチに座らされました。
ベンチでしばらく待っていると、再び女性職員が現れて荷物検査所に連れて行かれます。荷物がX線検査機にかけられた後、今度はバックを開けて中身を全部チェック。衣類を詰めた袋が出てくれば職員自身が袋を開けてパンツをつまみ、封筒が出てくれば、その中に入っていた切符の束を確認するという念の入りようです。
ようやく荷物検査が終わり、これで終わりかと思いきや、職員は事務所脇のベンチに戻れと指示し、わたしのパスポートと切符の束が入った封筒を抱えて事務所内に消えていきます。この時点で9027列車の発車まであと数分という状況になっており、乗り遅れるのは確定的です。
9027列車の発車時刻を過ぎてどのくらいたったのか、今度はノートパソコンを抱えた男性の職員が事務所から出てきて、「あなたは列車が好きなのか?」と聞いてきました。即座に「はい。東京からここまで、列車で来ました」と答えると、職員は「あなたの旅行はとても興味深い」というようなことを言います。どうやら切符の束を見たことで、わたしの旅行の趣旨、そしてわたしが鉄道好きであることを理解したようです。さすがは鉄道趣味が発達しているイギリスです。
わたしは男性職員に「中国のイミグレーションも厳しかったが、ここはもっと厳しい」と言うと、彼は苦笑いしながら事務所に戻り、同僚にそのことを話したのか、事務所の方から大きな笑い声が聞こえてきます。わたしとしては皮肉を込めて言ったつもりなので、爆笑されては困るのですが。
ほどなくして女性職員が現れて、切符の束が入った封筒と、イギリスの入国スタンプが押されたパスポートが戻ってきました。さらに職員は「ここで待っていなさい。切符を変更してきます」といって立ち去り、しばらくして13時04分に発車する9031列車の切符を持ってきました。元の9027列車の切符にシールを貼り付け、そこに列車番号の「9031」、車両番号の「7」、座席番号の「77」を新たに書き加えたものでした。7号車77番、つまり「スリーセブン」ですが、いまさらスリーセブンが出てきてもねぇ……。
やっと入国審査を終えて待合室に入ったものの、免税店をうろうろする暇もなく9031列車の改札が始まってホームへ。7号車のドアの脇にいた係員に切符を見せて車内に入りますが、77番の席を見つけて座ろうとした矢先、先ほどの係員がやってきて「申し訳ない、ダブルブッキングだ。隣の車両に行ってくれ」と言います。たとえ「事後」でもスリーセブンであることに変わりないので、少しいい気分になっていたのですが、なかなかうまくいきません。
9031列車は定刻13時04分、パリ北駅を発車。しばらくは100km/h強くらいの速度で走っていましたが、市街地を抜けると一気に加速し、300km/h近い速度で田園地帯を駆け抜けていきます。1等車の「特権」である食事のシートサービスが始まった14時30分ごろ、列車は速度を落とし、ユーロトンネルに進入しました。技術的にはもちろんのこと、建設に至るまでの経緯も興味深いドーバー海峡のトンネルではありますが、トンネルに入ってしまえばただの暗闇で景色が見えるはずもなく、ただ黙々とパンとチキンを食べるだけでした。
デザートのケーキを食べ終えていい気分になったころ、列車はトンネルと時差マイナス1時間の壁を抜けてイギリスに上陸。再び田園地帯のなかを300km/h近い速度で走り抜け、9031列車は14時50分ごろ、やや遅れてロンドン・セントパンクラス駅に到着しました。
●行程
→923パリ東(徒歩)パリ北1304(EST9031)1431(1450ごろ・約20分遅れ)ロンドン・セントパンクラス
第55日(6月3日):→パリ→ロンドン

コメント
むかーーーーーーっしから(僕が初めて海外へ行った、青函トンネル開業の頃から)「イギリスの入国には帰りの航空券が絶対必要」ということは、常識として言われとったぞい。
今さら言っても遅いけど。
わたしの感覚では、「青函トンネル開業」は「むかーーーーーーっし」というほど昔ではないと思います(笑)。まあ、そのように感じるということは、年を取った証拠ですが…