4日目の朝5時30分ごろ、列車はカイセリ駅に到着。ここでお医者さんが降りて、部屋は3人になりました。
しかし時刻表ではカイセリ着が深夜の1時26分で、この時点で4時間も遅れています。噂には聞いていましたが、トルコ国鉄の遅れは相当なものですね。その後も遅れはどんどん拡大し、イスタンブールのアジア側ターミナルであるハイダルパシャ駅に着いたのは、日付変わって24日の0時15分ごろ。最終的には5時間40分ほどの遅れとなりました。
チャバールの2人が「(ヨーロッパ側の)アクサライ地区にイラン式の安ホテルがあるから、一緒に行こう」というのでタクシーに同乗したのですが、2人はイラン式ホテルがアクサライ地区にあるということを知っていただけで、ホテルの名前は知らなかった。結局、タクシーを降りてから近くのホテルに飛び込んだのですが、そのホテルはどう考えても普通の安ホテルでした。
●行程
→1834(5/24 015ごろ・約5時間40分の遅れ)ハイダルパシャ
第44日(5月23日):→イスタンブール
