第32日(5月11日):ブハラ→トルクメナバード→

 別名「中央アジア北朝鮮」と呼ばれるトルクメニスタン。この国を旅行する場合、ガイド付きの個人ツアーを組んで招待状(インビテーション)を発行してもらい、10日間有効の観光ビザを取得するというのが原則ですが、隣国などの大使館で5日間有効のトランジットビザを取得すれば、実質的には短期間ながら自由に旅行することができます。
 ただ、トランジットビザの取得はかなり難しい。日本にはトルクメニスタンの大使館がないので、今回の旅行ルートではタシケントの大使館で申請せざるをえないのですが、これが最低でも2週間かかるうえ、本当に取得できるかどうかは運の要素が強いという問題もあります。そのためトルクメニスタンのみ個人ツアーを組みました。
 ブハラからタクシーでウズベキスタンの国境へ。出国自体は割とあっさりとしていて、荷物検査もなかったのですが、いざ手続きを終えて出入国審査所の敷地を出ると、目の前には大型トラックが列をなしている一本道が伸びているだけ。ウズベク出入国審査所は国境の前後に設けられた緩衝地帯の端にあり、ここから国境までは歩くしかないのです。
 やや暑い日差しの下をとぼとぼと歩き、国境らしき水路をまたぐ橋を渡ればトルクメニスタントルクメン側の出入国審査所も国境から離れた緩衝地帯の端にあるのですが、こちらは国境でワゴンが待ちかまえていて、運転手が「サービス、サービス」といって手招きしています。もっとも、出入国審査所に着いたら1000スムを請求されましたが。
 審査所に入り、とりあえず目の前にいた国境警備員らしき若い男にパスポートとインビテーションを見せると、男は「そこでちょっと待ってろ」と言って私のガイドを呼んできました。荷物検査こそあったものの、ガイドさんのおかげで入国審査は簡単に終了。ここからベンツに乗ってトルクメナバード市内のホテルに向かい、ここで昼食をとりました。ベンツに乗るのはたぶん初めてだったと思います。
 ガイドさんはどこかの工場で働いていそうな「おっちゃん」風情の人でしたが、母国のトルクメン語のほか英語とロシア語、ドイツ語が堪能。その一方で私がまともに話せるのは日本語のみ。苦手な英語で「4カ国語も話せるなんてすごいですね」という文章を何とか作り出すと、ガイドさんは「そんなことはない。俺の友達のガイドは日本語も含め9カ国語が話せる。この前も“カンペー”をガイドした」といいます。最初「カンペー」の意味が分からなかったのですが、ガイドさんが「マラソン、マラソン」と言って、世界一周マラソンに挑戦している間寛平であることにようやく気づきました。
 食事後、再び車に乗ってトルクメナバード駅へ。駅舎には現大統領の肖像画が掲げられており、写真を撮りたかったのですが、駅での撮影は禁止とガイドに強く言われており、どうにもなりません。
 アシュガバード行きの夜行4列車は機関車以外が中国製で、4人部屋のクペも案内表示がキリル文字であるほかは軟臥車そのもの。寝台でぐっすり眠り込んだガイドさんをほったらかしにして、ほかの乗客や車掌さんたちといろいろ話をして過ごしましたが、その感触でいえば、この国を北朝鮮に例えるのはかなり違うという気がしました。どちらかといえば、カザフやウズベクのような緩い独裁体制がややきつくなっただけ、といったところでしょうか。
●行程
ブハラ・ラビハウズ(タクシー)ウズベキスタン出入国審査所(徒歩)国境(乗合ワゴン)トルクメニスタン出入国審査所(専用車)ホテル(専用車)トルクメナバード駅※トルクメナバード1640(4)→