レッテルを貼るということ

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=98044&pg=20041015
 『国が燃える』に抗議した、いぬぶし秀一大田区議会議員のホームページより。「『うぜー』とか『死ね』とかいう左翼特有の書き込みが多いので掲示板を一時閉鎖」したとのこと。しかし、2ちゃんねるのニュース板やマスコミ板あたりを見ると、「うぜー」「死ね」という言葉は「右」が「左」に対して使用していることの方が多い。
 罵倒する言葉は、自分とは相容れない思想信条を持った人に対して使われることが多い。たとえば南京大虐殺の論争にしても、いわゆる肯定派を罵倒するのは「右」の人が多く、否定派を罵倒するのは「左」の人が多い。いぬぶし議員の思想信条を考えれば、「左」からの罵倒が多くなるのは自然の摂理。ただそれだけのことなのに「左翼特有」などとレッテル貼りしているのを見ていると、それだけで胡散臭さを感じてしまう。
 それと、抗議自体が言論弾圧になるなどということはありえない。公表された著作物に対して意見を述べたり抗議したりするのは、現行の日本国憲法において保証されている。当然、集英社、本宮側も再反論する自由がある。その点では、抗議を受けてすぐ引っ込めたとしか思えないような集英社、本宮側の態度に不信感を覚える。
 だが、抗議もエスカレートすれば解放同盟のかつての糾弾闘争の二の舞になる。抗議の自由云々ではなく、運動の手法が気にかかる。先のレッテル貼りとあわせ、その匂いが感じられるのだ。先日書いた「矢田事件の二、三歩手前」とは、そういうこと。