先日、西方へ出かけてきました。東京駅八重洲口付近から高速ツアーバスに乗って10月25日朝、神戸の三宮駅付近に到着。もろもろの用事をこなし、夜は大阪のインターネット配信番組『UST鉄道情報局』に出演させていただきました。
番組では、先日発売された『鉄道ファン』2012年12月号の特集について、熱く語ってみました(笑)。そのときの模様は、番組司会者である小倉沙耶さんのブログでも紹介されています。
翌26日も、もろもろの用事をこなしながら近鉄線で東に移動し、名古屋に到着したのは11時半頃。その次の用事は16時半になるので、中途半端な時間ができてしまいました。そこで、少し前から気になっていた、愛知県大府市内の廃線跡をたどってみることにしました。
最近の廃線・未成線跡散策は「仕事」になることが多いため、出発前に下調べしてから訪れることが多いのですが、今回は大ざっぱに把握しているだけです。
ただ、東海道線大府駅から西へ約2km、旧・大府飛行場の南端にあった三菱航空機知多工場(現在の豊田自動織機長草工場)を結ぶ専用線であったこと、そして大まかなルートは頭の中に入っています。
より大きな地図で ウド廃線跡 を表示
東海道線で大府駅へ。駅の西側では、太平洋セメントのホキ1000形やJR貨物のEF64形1000番台、DD51形がたむろしていました。専用線は、このあたりから左へ急カーブし、奥に見える豊田自動織機大府工場に「突進」するルートをとります。線路敷の名残は見当たりません。

1977年に撮影された空中写真では、豊田自動織機大府工場の先、川を越えたあたりから北西方向に進む線路敷が残っており、道路として利用されているのが確認できます。途中に2箇所、送電鉄塔が線路敷に設置されており、道路はその部分だけ迂回(うかい)しています。

現在は住宅地開発による区画整理により、線路敷は完全に消失しています。ただ、線路敷に設置された送電鉄塔は今も同じ場所にあり、これが名残といえるでしょうか。

この先、専用線は中部電力大府変電所あたりで少し左カーブし、変電所の北側も専用線の流れに沿って緩やかなカーブを描いています。この辺も住宅地開発で線路敷の姿は見られませんが、変電所敷地の区割は変わっておらず、敷地の北側にはカーブを描いている法面が今も残っています。

変電所を過ぎると、専用線は西へ一直線に進んでいきます。アスファルトで舗装されてはいるものの、現在も線路敷を転用した生活道路として使用されています。

この道路を歩いてしばらくすると、「ウド住宅」なるバス停がありました。ウド、なかなか味のある町名ではないですか。何というか、「100年戦争が生み出したソドムの街」のような……。

生活道路を700mほど進んだところで生活道路は途切れ、線路敷は2車線の道路に取り込まれます。そのすぐ先がウド交差点、そして専用線の終点である豊田自動織機長草工場ということになります。

専用線は現在のウド交差点付近から上り勾配になって工場の敷地内に入り、スイッチバックで工場の南側から東側へと回り込んでいたようです。しかし、敷地の外側から見る限り、線路敷の名残らしきものは確認できませんでした。

これで専用線跡の散策は終了……ですが、交差点の東側に「ケーキ&カフェ ミルクショップ知多農場」なる看板を掲げた、真新しいお店があります。

「ミルクショップ」とはいえ、「ケーキ&カフェ」と前置きしているのだから、コーヒーは当然あるだろう。しかも、このあたりの町名は「ウド」。となれば……

キリコ…いや、草町が飲むウドのコーヒーは、苦い。
ええそうですよ、廃線跡の散策をダシに、本当はこれがやりたかっただけなのです。意味不明? 今回は意味が分かる人のためだけに書いてます。ご了承ください。