1年後の仙台・閖上・石巻・野蒜

 昨年3月の東日本大震災以降、鉄道の被災状況に関する記事を何度か書いていますが、実は震災以降、東北を訪れたことは一度もありません。
 私は現場主義を必ずしも採用しませんし、現場主義を声高に主張する人たちに違和感を覚えることすらありますが、その一方で仕事柄、現場を見ておくに越したことはないとも思っています。せめて一度くらいは東北の被災路線を訪ね、その上で記事を書いてみたいですし、本来はそうでなければならないと。
 しかし、被災路線の取材依頼はなく、独自に取材しようにも交通費の捻出すらままならない状況です。昨年の8月、地震動による路盤崩落があった茨城県のローカル線を訪ねていますが、今のところはこれが精いっぱいです。

 そんなこんなで悶々とした日々を送っていた頃、4月上旬に仙台を訪れた友人から写真データが送られてきました。
 仙台訪問の直接の理由はJリーグの試合観戦とのことでしたが、被災地の状況をこの目で確かめたいと、津波にのまれた近隣の地域にも足を伸ばしたそうです。


 仙台空港の1階ロビー。一見すると地震の被害はどこにも感じられません。しかし、奥に見える柱をよく見ると……

 津波の到達高さを示したラインが記されています。写真では分かりづらいですが、報道等によれば、その高さは3.02m。一般的なプールなら最大でも2mくらいでしょうから、それより深くなったわけです。


 海岸にほど近い名取市閖上の住宅地。小高い丘(日和山富主姫神社)が残ったほかは、平地が続くだけのさっぱりとした景色です。
 どこかで見たような気がして、思い出しました。2年前の2010年5月、ウズベキスタンのヌクスからタクシーでアラル海に向かったときの車窓が、こんな感じでした。
 私は山間部の田舎町で生まれ育ったせいか、山が見えない景色へのあこがれは強いものがあります。アラル海に向かう途中でもバシャバシャと写真を撮り、運転手さんに「なんで何もないのに写真を撮るんだ?」と不思議がられました。ある意味では津波が「あこがれ」の景色を作りだしたのかと思うと、複雑な思いに駆られます。


 石巻市立門脇小学校の校舎。屋上には「す」「こ」「や」「か」「に」「心」「と」「体」と記された看板が並んでいます。
 この写真では「育」「て」が隠れているらしく、実際は「すこやかに育て心と体」となるようですが、この惨状を見てもなお「すこやかに育て」と子供たちにいえる自信は、私にはありません。


 最後は東松島市にある仙石線野蒜駅。構内のプラットホームはところどころにヒビが入り、線路はゆがみ、ちぎれた架線が天からだらりと垂れ下がっています。とはいえ、津波にのまれた駅の中では、比較的原型をとどめている方ではないかと思います。


 野蒜駅の駅前には、仙石線の早期復旧を求めるのぼりが見られます。他の津波被災路線は輸送人員の少なさから当面の鉄道復旧を断念し、バス専用道化による仮復旧の方向で動いていますが、仙台都市圏の通勤路線である仙石線は、幸いにも鉄道による全線復旧(2015年度の予定)が決まっています。「早期」とはいえないまでも、のぼりの字面通りにコトが進んでいます。
 しかし、ここに列車がやってくることは、もうありません。陸前大塚〜陸前小野間は津波対策として内陸寄りに線路を移設することになっており、その途中にある野蒜駅も移設されることになったためです。
 仙石線の移設が完了してしばらくすれば、ここも全国各地に見られる廃線跡と同じような景色に変わるのでしょうか。

 最後に、貴重な写真を送ってくれた友人のY君に感謝。