「開発線」に新線構想の源流をたどる

国鉄も検討していた首都圏の通勤新線

 先月発売の『鉄道ファン』2012年3月号で書いた「開業したらいいな…夢の首都圏鉄道新線計画」では、運輸政策審議会(運政審)の答申第18号「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」を基準に、首都圏各地で構想されている鉄道新線の概略を書かせていただきました(「開業したらいいな…夢の首都圏鉄道新線計画」(『鉄道ファン』2012年3月号))。
 戦後の三大都市圏における鉄道の基本計画は、1955年7月19日に運輸大臣の諮問機関として設置された、都市交通審議会(都交審)が策定してきました。このうち首都圏については、1975年を整備の目標年次とした東京都心部の基本計画である都交審答申第1号が1956年8月14日に策定されますが、その後も経済成長に伴い、構想路線をさらに増やした都交審答申第6号(1962年6月8日)、横浜圏の構想路線を取りまとめた都交審答申第9号(1966年7月15日)、次期答申の中間答申的な位置づけとして既存路線の救済路線を追加した都交審答申第10号(1968年4月10日)、そして目標年次を1985年とし、郊外も含めた首都圏全体の構想路線を大幅に追加した都交審答申第15号(1972年3月1日)が順次策定されています。
 都交審は1972年4月1日に廃止されますが、その機能は運政審に引き継がれ、2000年を整備の目標年次として貨物線の旅客線化など既存ストックの活用を本格的に取り込んだ運政審答申第7号(1985年7月11日)、そして2015年を整備の目標年次とした運政審答申第18号(2000年1月27日)が策定されました。
 なお、運政審は2001年1月、国土交通省の発足に合わせて交通政策審議会に改組されています。ただし、三大都市圏の鉄道基本計画策定は引き継いでいないため、事実上の次期基本計画は、関東運輸局長の諮問機関である関東地方交通審議会が答申するものと思われます。

 この都交審→運政審による基本計画は、実質的には自治体や民鉄、国鉄などがそれぞれ考案した新線構想や線増(複々線化など)構想などを、調整の意味も含めてまとめ直したものといえます。実のところ、答申が策定された時点で新味のある構想だったわけではありません。
 たとえば国鉄では、1972年に「開発線」と呼ばれる通勤新線の構想を打ち出しており、この構想の一部が、後の運政審答申第7号などに取り込まれています。具体的には、東海道線東北線、中央線、総武線高崎線常磐線のやや離れたところを並行する東海道開発線、東北開発線などが考えられ、既存国鉄線の混雑緩和とともに、鉄道空白地帯の開発にも対応した構想でした。
 これら開発線は、あくまで「構想」でしたから、成案ルートが存在するわけではありません。国鉄内部でもさまざまな案が比較検討されていたと思われ、有力視された案も時代によって変化していたようです。実際、常磐開発線は、1975年頃のいわゆる「大新宿駅」構想の時点で新宿駅を起点とすることが考えられていたようですが、この構想に相当する常磐新線は1985年の運政審答申第7号では東京駅起点とされ、現在は秋葉原〜つくば間が首都圏新都市鉄道常磐新線つくばエクスプレス)として開業しています。

都心部を省略した末期の開発線ルート

 それでは、国鉄最末期時点の開発線構想は、どのようなルートが考えられていたのでしょうか。
 国鉄分割民営化直前の1987年1月21日に発行された『「東工」90年のあゆみ』(日本国有鉄道東京第一工事局)には、「開発線等将来計画図」が掲載されています。それによると、

が、「開発線計画」として図示されていました。

 みなとみらい21線は、『90年のあゆみ』発行の2年前に策定された運政審答申第7号のルートと同一ですが、この時点では事業主体が確定しておらず、横浜線との直通化も考えられていたことから、国鉄の開発線構想として掲載したのでしょう。常磐開発線に相当する常磐新線も、同じ考え方による掲載と思われますが、その区間は現在のつくば駅からさらに伸びて、水戸までとなっているのが特徴的です。
 一方、「大新宿駅」構想で常磐開発線と同じ新宿起点とされていた東北開発線は、東川口〜白岡間という中途半端な区間に設定されています。運政審答申第7号で目黒〜岩淵町鳩ヶ谷市中央部〜東川口〜浦和市東部間を結ぶ東京7号線が設定されていたことから、これとの直通化を図ることを念頭に置いていたのでしょうか。
 東京7号線は現在、目黒〜岩淵町間が東京地下鉄7号線南北線の目黒〜赤羽岩淵間として、岩淵町浦和市東部間が埼玉高速鉄道線赤羽岩淵〜浦和大門間として、それぞれ開業しています。さらに2000年の運政審答申第18号では、浦和大門〜蓮田間が東京7号線の延伸部として盛り込まれています。東北線側の終点が1駅ずれているものの、実質的には東北開発線の構想を受け継いだものといえるでしょう。
 上毛開発線は、おそらくは高崎開発線の名称を変更したものと思われます。構想区間は宮原〜伊勢崎間とされ、やはり「大新宿駅」構想時点の新宿起点を取りやめて、都心部の建設を省略した格好になっています。
 この頃、山手貨物線赤羽線東北線通勤別線〜川越線経由で新宿方面と川越方面を結ぶ埼京線電車が既に運転を開始していましたが、もともと通勤別線は大宮駅からさらに高崎線宮原駅まで延伸する予定でしたから、やはり埼京線との直通化により都心部の建設費を節減しようとしたのでしょう。ちなみに、大宮〜宮原間には現在も通勤別線用と見られるスペースが随所に見られます。詳細は拙著『鉄道未完成路線を往く』をご参照ください。
 中央開発線は、計画図によると東京駅から新宿駅まで直進し、新宿〜武蔵境間は中央線との重複ルートとして描かれています。これは運政審答申第18号に盛り込まれた中央線複々線化と、京葉線三鷹〜新宿〜東京間延伸に相当しますね。
 東海道開発線は計画図を見る限り、現在の渋谷〜武蔵小杉付近?間が山手線や東海道線支線(品鶴線)と重複し、武蔵小杉付近〜平塚間は重複路線や並行路線のない新線として描かれています。
 計画図の次ページにある「開発線等計画概要」によると、東海道開発線の計画事由として「港北NT(30万人)が建設中」としていますから、都交審答申第15号に盛り込まれていた東京6号線(現在の東京都交通局6号線新宿線に相当)の港北ニュータウン延伸部、あるいは都交審答申第9号に盛り込まれていた茅ヶ崎〜東京方面の横浜6号線を新宿起点に変更したものといえるでしょうか。港北ニュータウンを経由しないことを除けば、湘南新宿ラインとして実現したといえますね。

 こうしてみると、都心区間の建設を省略することで建設費を可能な限り削減し、開発線構想を何とかして実現したいという国鉄の意思が垣間見えてきます。その一方、経営が極度に悪化して分割民営化に追い込まれた頃でもこんなことを考えていたのかと、ある意味では感動すら覚えます(苦笑)。
 また、現在も存在する鉄道新線構想の多くは、国鉄開発線のような「源流」が存在しているともいえます。そもそも常磐開発線自体、極端なことをいえば戦前に計画された筑波高速度電気鉄道の焼き直しといえるわけでして。
 それぞれの源流構想は建設資金などさまざまな問題から頓挫、消滅していますが、人びとの記憶から消えた頃になって再び「新味」のある新線構想として浮上してくるというのは、ちょっとした違和感を覚えます。

 ちなみに、「開発線等将来計画図」には成田空港〜都心ターミナル〜中央新幹線(リニア方式)間を結ぶ新幹線計画も図示されています。中央新幹線を延伸する形で成田新幹線相当の高速鉄道を整備しようという構想でしょうか。そういえば数年前、「成田リニア」を大々的に提案して悦に入っていた某県知事がいましたが、これも構想自体はかなり昔からあったわけです。
 それはともかく、ターミナルの位置は「都心ターミナル」との表現でぼかされていますが、図面を見る限りでは東京〜品川〜武蔵小杉付近間で東海道線品鶴線に重複し、そこから西へ直進して横浜線橋本駅と交差しているように見えます。中央新幹線も、かつては「大新宿駅」にターミナルを置くことが有力視されていた時期がありましたが、少なくとも国鉄最末期の頃には、品川駅や橋本駅を通るルートを有力案とする方向に変わっていたようです。
 ここ数年、中央新幹線の駅がどこに設置されるかでいろいろと話題になり、首都圏内では品川駅をターミナルとして橋本駅に中間駅を設ける方向で確定しそうですが、実は国鉄最末期の「源流」がそのまま採用されただけ、なのかもしれません。