ある意味復活した茨城のローカル線〜鹿島鉄道

 23日は11〜13時台にひたちなか海浜鉄道を1往復(復活した茨城のローカル線〜ひたちなか海浜鉄道)した後、すぐに勝田から石岡まで戻り、鹿島鉄道跡地バス専用道を訪ねました。その名の通り、鹿島鉄道線の跡地を活用したバス専用道です。

 鹿島鉄道線は、常磐線石岡駅から分岐して太平洋岸の方へ東進し、26.9km先の鉾田駅に至る非電化単線のローカル線でした。
 もともとは鉾田からさらに南下して鹿島神宮に向かう路線として計画され、大正時代に鹿島参宮鉄道の路線として開業。鉾田から先の延伸はかなわず、1965年(昭和40)に常総筑波鉄道との合併で関東鉄道鉾田線となりましたが、1979年(昭和54)の分社化で関東鉄道全額出資の鹿島鉄道に経営が移管されました。
 ここも全国のローカル線と同様、経営は決して楽ではなかったのですが、航空自衛隊百里基地への燃料輸送による貨物収入によって、何とか持ちこたえていました。しかし、燃料輸送が2001年(平成13)で終了したことから経営は一気に悪化。関東鉄道と沿線自治体の支援で一時は廃止を免れたものの、2005年(平成17)に首都圏新都市鉄道常磐新線つくばエクスプレス)が開業すると、競合路線を持つ関東鉄道の減収で鹿島鉄道の支援が困難となり、結局は2007年(平成19)4月1日に廃止されてしまいました。

 廃止後は、やはり関東鉄道の子会社である関鉄グリーンバス代替バス(かしてつバス)を運行するようになりましたが、並行する一般道(国道355号)の渋滞で定時運転が難しく、それが嫌われて利用者のさらなる減少を招いてしまったようです。
 そこで、2007年(平成19)の12月頃からバス専用道を整備する構想が浮上しました。これは鹿島鉄道線の廃線跡のうち石岡〜四箇村間の約5kmをバス専用道に改築するもの。バスが専用道を走ることによって一般道の渋滞に巻き込まれることはなくなり、定時運転の確保→利用者の増加を図ろうというもくろみでした。また、当時は百里基地飛行場(茨城空港)の民間共用化事業が本格化しつつあり、茨城県は定時性が重視される空港へのアクセス交通機関として専用道バスを運転したいという考えがありました。
 こうして鹿島鉄道線跡地のバス専用道化は一気に話が進み、鉄道廃止から3年後の2010年(平成22)8月30日、バス専用道の供用が開始されました。

 専用道を走るバスは、石岡駅〜鉾田駅間を結ぶかしてつバスと、石岡駅茨城空港間を結ぶ茨城空港連絡バスの2系統です。石岡駅のバスターミナルは駅舎からやや離れたところにあり、ちょっと分かりづらいのが気になりました。
 ちなみに、かつての鹿島鉄道線のホームは駅裏側にあり、今は完全な更地になっています。将来的にはここをバスターミナルとして再整備する構想があるように聞いていますが、できれば常磐線から直接バスに乗り換えできるような構造にできないものかと思います。

 バスは発車後しばらく一般道を走りますが、常磐線の踏切を過ぎるとすぐに右へカーブしてバス専用道に入り、緩やかな左カーブで常磐線の線路から離れていきます。
 単線のローカル線跡地を活用してバス専用道に改築していますので、道路の幅も1車線分しかありません。緩やかなカーブに幅の狭い路盤は、まさにローカル線のそれと同じです。

 専用道に入ってしばらくすると、かつて鹿島鉄道線の石岡南台駅があった場所に、石岡南台駅停留所が設けられています。「石岡南台」停留所ではなく、あくまで「石岡南台駅」停留所としており、かつてはここに鉄道駅があったことを示しています。
 鉄道時代のホームも専用道の両側に残っていましたが、バスのドアから高床のホームに降りられるわけがなく、停留所のポールはホームの下に設置されているのが面白かったです。
 停留所は鉄道時代の駅より多く設置されていましたが、駅跡の停留所は全て「○○駅」を名乗っています。ただし石岡南台駅以外はホーム等の明瞭な鉄道施設の名残は見られず、代わりに現代的なデザインの待合室が設置されていました。

 専用道は1車分しかないため、そのままでは対向するバスとの行き違いができませんが、要所要所で道路の幅を少し広げた待避スペースを設け、ここでバス同士のすれ違いができるようになっていました。これもまた、線路を2線以上増やした駅や信号場で列車同士のすれ違いを行う単線の鉄道と同じ運行方式です。
 専用道を走るといっても一般道に乗り入れる区間もありますから、鉄道のように厳格なダイヤを決めて運転することはできません。そのため待避スペースも、私が目視した範囲では約100〜300mおきと細かく設置されており、いつでもどこでもバスのすれ違いができるようになっていました。鹿島鉄道線時代の石岡〜四箇村間で列車の行き違いが可能だったのは石岡南台駅と玉里駅の2駅だけでしたから、待避スペースは大幅に増えています。
 ちなみに運転手さんから聞いたところ、バスの運行は上り優先と決められており、下り方向(鉾田方面行き)のバス運転手が上り方向(石岡駅行き)のバスを目視で確認した際、その距離を見計らって適当な待避スペースで上り方向からのバスを待つというのが原則になっているようです。

 一般道との交差はある意味「踏切」になっており、遮断機も設けられています。ここにも鉄道らしさが感じられますが、遮断棒はバス通過時のみ一般道をふさぐものではなく、専用道を常時ふさぐものになっており、バスが接近したときだけ自動的に遮断機が上がります。

 鉄道用地を活用した専用道バスは全国にいくつかあり、鹿島鉄道跡のバス専用道もさほど珍しいものではありません。たとえば奈良県の五条〜城戸〜阪本間を結ぶ計画で工事が進められた阪本線は、五条〜城戸間の完成した路盤をバス専用道に転用しています。このあたりの詳しい事情は、『鉄道未完成路線を往く』でご確認いただければと思います(ちょっと宣伝)。

 ただし、従来のバス専用道は、鉄道を廃止した鉄道会社自身、あるいは関連会社のバス会社が専用道を保有する私道として再整備しているのに対し、ここでは茨城県や沿線の石岡市小美玉市が公道として整備しつつ、路線バス以外の通行を禁止する形になっています。
 私道の場合は専用道の整備や保守もバス会社自身で行わなければなりませんが、ここはいちおう公道ですからバス会社が道路の整備費用を負担する必要はなく、バス経営の安定化に寄与するというメリットがあります。道路は公設、運行は民営というバス専用道は、確か鹿島鉄道跡バス専用道が日本初だったと思います。
 このため、専用道の各所には一般車両や歩行者の通行を禁止する旨の道路標識が自治体や警察署の名義で設置されています。もっとも鉄道に比べると抵抗感が少ないのか、老若問わず勝手に入り込んでいる人たちが時々見受けられましたが(苦笑)。

 バスは5kmほど走って専用道の終点となる四箇村駅停留所に到着し、ここからは一般道経由で鉾田方面や茨城空港に向かいます。この先、四箇村〜常陸小川間の廃線跡もバス専用道に改築する計画がありますが、今のところは着工の気配はなく、枕木とレールを撤去して荒れたままとなっている廃線跡が今も残っていました。

 廃線跡を活用したバス専用道は、鉄道に準じた定時性を確保できる一方、通常の鉄道に比べると整備費、保守費ともに安上がりという利点があります。たとえば前述した待避スペースは、鉄道ですと分岐器やら信号システムやら複雑な設備が必要になり、その整備や保守にも手間とお金がかかります。これに対してバス専用道は、待避スペースの部分だけ舗装を広げれば済む話。もちろん複雑な保安システムも必要ありません。
 さらに専用道を走るバスは基本的に一般道への乗り入れも可能であり、面的な輸送確保の上でも鉄道にはない利点があります。
 また、3月11日の東日本大震災では専用道の舗装が一部崩れるといった被害があったものの、翌日には運転を再開しました。鉄道の場合はレール間の幅(軌間)や路盤の傾きなどを厳密に保たなければ列車を運転できず、どうしても復旧に時間がかかってしまいがちですが、道路の場合は鉄道ほどの安全確認は不要ですから、復旧にはさほど時間がかかりません。バス専用道は災害に強い公共交通機関ともいえます。

 いいことずくめのように思えるバス専用道ですが、鹿島鉄道跡バス専用道を走る路線バスの利用状況は、必ずしも芳しくありません。
 専用道バスが運行を開始した当初の想定利用客数は、鹿島鉄道線と同等の1日約1600人とされていたのですが、今のところは1000人前後で推移している状態です。鉄道廃止後に一般道を走っていた代替バスに比べると利用者は増えているものの、それでも当初目標ほどには増えていません。
 その最大の理由として考えられるのが、バスの所要時間です。専用道区間を含む石岡駅〜四箇村駅間の所要時間は14分と設定されており、鉄道時代に比べると時間が延びています。一般道乗り入れによる遅れ発生の可能性も含めると所要時間はさらに伸びるわけで、これではバスに転移しにくいのも当然といえるでしょう。
 専用道の整備などで走行路を一般道から分離してバスの高速運行を図る交通システムはBRT(=Bus Rapid Transitバス高速輸送システム)と呼ばれており、実際に茨城県鹿島鉄道跡バス専用道をBRTの一種としているようですが、これではBRTと呼んでいいのかどうか、甚だ疑問に思います。
 専用道を走っているのですから、運行速度をもう少し引き上げられないものかと思いますが、歩行者や自転車が飛び出してくる交差点もあり、これ以上の速度向上は安全上難しいようです。また、専用道と一般道の交差部では一般道優先となっており、交差点で一般道を走る自動車に行く手を遮られ、しばらく動けなくなる状態になったことが時々ありました。
 それなら交差点に鉄道と同等の踏切設備を設けて専用道優先にし、バスの速度をもっと引き上げられないものかと思いますが、整備費や保守費の増大という問題も出てきますから、そう簡単にはいかないのでしょうね。

 ただ、全体的に見れば鉄道時代に比べて運転本数が大幅に増えていて、利便性はさほど悪くなく、路線バスとしては利用客数もまずまずといった印象を受けました。正直なところ、ひたちなか海浜鉄道もこの方式で十分に対応できたのではないか、という気がします。
 今後は高速化を当面の課題としつつ、できるところから改善を図っていく必要があるでしょう。
 このバス専用道はあくまで2年間の実証実験という位置づけです。既に1年が経過し、残りはあと1年。もしもバス専用道の輸送人員が芳しくないままだったらどうするのか。今後が気になります。

【関連情報】「バスでたどる廃線&未成線」(『鉄道のテクノロジー』Vol.14)
【関連情報】鹿島鉄道の桜は残った
【関連記事】「BRTにLRTの代役は務まるか」など(『週刊東洋経済臨時増刊』2013年2月22日号)

コメント

  1. 水戸市民 より:

    ひたちなか海浜鉄道の話がありましたが、湊線廃止の話が出た当初はバス専用道など考えられない状態でした。まず、JCOの臨界事故で東海村の住宅団地がまったく売れなくなり茨城交通の経営が悪化、借金が返せなくなり、担保にした鉄道用地を取られる話になったのが発端です。土地を取られれば、鉄道もバス専用道も不可能です。
    そこでひたちなか市が借金を代わりに返済、ひたちなか市の出した資金を出資金にしてひたちなか海浜鉄道が設立されました。担保が解除されれば鉄道を廃止する理由はないですが、ひたちなか市の出資金は借金返済で使いきっていて、茨城交通は全額現物出資、当時鉄道に現金がありませんでした。利用が多かったので3セク転換後数年で廃止という事態は避けられ、現在はひたち海浜公園までの延伸が計画されています。